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メンデルスゾーン:ライプチヒを歩くvol.4

ライプチヒの聖トーマス教会のバッハ像から
最古のバッハ像へ向かい、さらに先を市庁舎に向かう途中には、
バッハ像からほど遠くない場所に、
メンデルスゾーンの像があります。
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こちらの像を建てたのがメンデルスゾーン、
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像の裏側には、楽器をもつ女性の彫刻があります。
緑豊かな静かな佇まいの像を後にすると、
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メンデルスゾーンの
新しい光り輝く像があります。
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正面には竪琴をもった女性、周りには音楽のミューズか<天使>たちが
メンデルスゾーンを囲み、まるで彼を守っているかのように見えます。
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フェリックス・メンデルスゾーン(ヤコプ・ルートヴィヒ・フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ、Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy, 1809年2月3日 ハンブルク - 1847年11月4日 ライプツィヒ)は、ドイツロマン派の作曲家、指揮者です。
ここライプチヒで没しているように、バッハとの縁は特に深いのです。

1823年(14歳) 大バッハのマタイ受難曲の写筆スコアを母方の祖母よりクリスマス・プレゼントとして贈られてから、
1829年(20歳) 3月11日、自らの監督により、マタイ受難曲の公開演奏を作曲者の死後初めて行っています。
この功績は、後世に残る偉業といえましょう。

1835年(26歳) ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者となってからは、
作曲とピアノの教授にはロベルト・シューマンが招聘された、
1843年(34歳) 自ら奔走して設立資金を集め、ライプツィヒ音楽院を開校し、院長となったのです。

mendelssohn-Haus Leipzig
では、メンデルスゾーン博物館の様子を紹介しています。

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フェリックス・メンデルスゾーンはこちらをどうぞ~♪


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by junomyu | 2012-02-26 01:02 | 音楽