金沢【武家屋敷後:野村家(加賀藩千二百万石)】
先日御紹介した、金沢では、武家屋敷後を訪れました。
天正11年(1583年)藩祖前田利家が金沢城に入場して、加賀百万石の基礎が築かれ、直臣として従った
「野村伝兵信貞家」は、千二百万石をもち、代々御馬廻組々頭、各奉行職を歴任し、この地に三千平方米余の屋敷を拝領し、家督は11代にわたって、明治4年の廃藩に至った由緒深い家柄です。
玄関では、甲冑が出迎えます<本当に身につけていたもの>
入ってすぐの部屋の床の間には、前田利家直筆の掛け軸があります。
その部屋から見る庭の様子~♪
上段の間<謁見の間>
金に糸目をつけない総檜づくりの格天井、紫檀・黒壇材を使った厳密な細工造りで、畳下が銅板張りだそう、
金彫師の手によると思われる黒柿材の透かし彫りの釘隠し、床の間の引き手は、鉄刀木(タガヤサン)の細工彫で出来ており、濡れ縁に迫る曲水を映ゆるギヤマン入りの障子戸は、往時弘化、嘉永年間としては、まさに目を見張るつくりだあったにちがいありません。
風流な庭の造り、
うぐいすを入れて鳴き声をきいた箱~♪
池で泳ぐ鯉:
二階のの茶室へと続く、
床の間板は<珍しい>一枚板:
茶室へ上がる入口にある、みずや。。。<とても風流>
武家屋敷跡<野村家>
金沢市長町1-3-32 tel (076)221-3553
http://www.nomurake.com
天正11年(1583年)藩祖前田利家が金沢城に入場して、加賀百万石の基礎が築かれ、直臣として従った
「野村伝兵信貞家」は、千二百万石をもち、代々御馬廻組々頭、各奉行職を歴任し、この地に三千平方米余の屋敷を拝領し、家督は11代にわたって、明治4年の廃藩に至った由緒深い家柄です。
玄関では、甲冑が出迎えます<本当に身につけていたもの>
入ってすぐの部屋の床の間には、前田利家直筆の掛け軸があります。
その部屋から見る庭の様子~♪
上段の間<謁見の間>
金に糸目をつけない総檜づくりの格天井、紫檀・黒壇材を使った厳密な細工造りで、畳下が銅板張りだそう、
金彫師の手によると思われる黒柿材の透かし彫りの釘隠し、床の間の引き手は、鉄刀木(タガヤサン)の細工彫で出来ており、濡れ縁に迫る曲水を映ゆるギヤマン入りの障子戸は、往時弘化、嘉永年間としては、まさに目を見張るつくりだあったにちがいありません。
風流な庭の造り、
うぐいすを入れて鳴き声をきいた箱~♪
池で泳ぐ鯉:
二階のの茶室へと続く、
床の間板は<珍しい>一枚板:
茶室へ上がる入口にある、みずや。。。<とても風流>
武家屋敷跡<野村家>
金沢市長町1-3-32 tel (076)221-3553
http://www.nomurake.com
by junomyu
| 2010-04-23 07:02
| 日本の風景