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ワーグナーの【バイロイト】

ワーグナーの【バイロイト】_c0193304_0143799.jpgニールンベルクから特急ICEで約50分、快速REで約1時間、ワーグナー音楽祭(7月25日~8月28日)にもかかわらず、バイロイト駅の周りは閑散としていました。

バイロイトの駅におりると、駅を背にして右手に向かうとR.ワーグナー・フェストシュピールハウス(Richart-Wagner-Festspielhaus)、左手に道なりに沿って行くと辺境伯オペラハウス、さらに歩いて行くとハウス・ヴァーンフリート(Haus Wahnfried)-ワーグナー博物館、リスト博物館があります。

バイロイトはブランデンブルク辺境伯の宮廷が置かれた町でもあります。

バイロイトでの目的は、ワーグナー博物館を訪れることでした。
音楽祭のチケットを入手することが出来なかったのと、2005年はニーベルングの指環 3部作は公演されないと聞いていたので数時間バイロイトには滞在しただけでした。

ワーグナーについては、ある種の偏見を持っていた私でしたがこの地を訪れその考えは一掃されました。

閑散とした駅前におり立った時には、あまりにも町が整然と静かなので一瞬の戸惑いを覚えましたが、

Haus Wahnfried に向かう途中 リスト、サン・サーンス、ブルックナーなどの多くの音楽家がこの地を訪れている事を考えると、何か胸踊るものも感じました。

写真は、駅からBahnhofstr を行き辺境伯オペラハウスに向かう途中ドイツらしく美しく清掃された街並みです。

ワーグナーの【バイロイト】_c0193304_0182186.jpgワーグナー博物館に行く途中、辺境伯オぺラハウス(Markgraefliches Opernhaus)を 見学しました。

ブランデンブルク辺境伯の宮廷が置かれていた街なので、バロック・ロココ風の建物も残っています。

オペラハウスの外観は、とてもシンプルでしたが、内部は当時としては画期的な試みがなされ豪華さを放っていました。

客席・舞台装置、手すりなどはすべて木製でできており、緞帳は豪華な刺繍で・・・写真を撮りましたが、真っ黒で何も見えませんでした(残念!)

見学の後、フリードリッヒ大王の姉ヴィルヘルミナ皇女が建てた新宮殿(Neues Schloss)に行きました。
入り口では、家族ずれや観光客が休日の午後、暖かな日差しの中のんびりとくつろいでいた姿がとても印象的でした。

その後、ワーグナー博物館に向かいました。

(写真は、辺境伯オペラハウスの外観)

ワーグナーの【バイロイト】_c0193304_022266.jpgワーグナー博物館(Richard-Wagner-Strasse 48) ・Haus Wahnfried 、ワーグナーが妻コジマと住んでいた屋敷に向かいました。

正面玄関前には、勿論パトロンだったルートヴィヒⅡ世の胸像があります。

2階建ての豪邸・内部はゆかりの品々、写真、楽譜、様々な物が展示されており、庭には夫妻の墓があり多くの人からの花束が供えてありました。

緑豊かな、閑静なこの地でワーグナーは数々の名曲を生み出し妻コジマとの生活ををどのように過ごしていたのか、想像するだけで胸が高鳴りました。

そしてルートヴィヒⅡ世の影響力の強さもまた、納得できました。

偉大なる作曲家の後ろにいつも偉大なるパトロンの影・・・

現在の世の中はかなり様変わりしたなと感じます。
今は、偉大なる音楽家の後ろには?すぐに即答できない複雑な状況!とでも言うしかないのでしょうか?
それだけ、時代は速く進みすぎている?という事かもしれませんね・・・・

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ワーグナーの【バイロイト】_c0193304_0243623.jpg

ーグナー博物館の中に入って行きましょう。

入り口をはいると、広い玄関ホールがあり、正面の広間は壁に沢山の本、今はコンサートホールとして使っているようでした。
100席ほどの広間です。

玄関ホールの向かって左脇にワーグナーが作曲用に使っていた、箱型のピアノ(ベイヒシュタイン)が置いてありました。

他グランドピアノも置いてあります。

箱型ピアノは、とても大きく作曲をしやすいように譜面たてが大きく鍵盤上の左右の箇所には、物が置けるように機能的にできていました。

このピアノは修復の後だと思いますので、当時の実物の写真も添えられていました。

ワーグナーの【バイロイト】_c0193304_0273051.jpgワーグナーは1813年5月23日ライプツィヒに生まれ、1883年2月13日ヴェネチアで没しています。

この世に生を受けた時は、パウツェン(ドレスデンから東50キロの小都市)での連合軍敗北(ナポレオンに撃破された)とライプツィヒ会戦(ナポレオンが敗れた・10月16日~19日)の中間、時代は激動の時でした。
そのため、洗礼は8月16日トーマス教会で行われ、ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナーと命名されました。

そして、母親は彼の創造と生活の全期間にわたり影響力を与え続けたようです。

また彼の音楽上では、ベートーヴェンが多大なる影響を与え、
作曲の初期時代では 、ベートーヴェン的シンフォニックな主題:暗い情熱的アダージョ:自由な3声のフーガ:末尾にカデンツ という流れのベートーヴェンを意識した
イ長調ピアノソナタ と ハ長調交響曲 (1832年作曲)などの作品があります。

その後交響曲を中心にオペラの作曲へと創作意欲が駆り立てられていったようです。

音楽学生だったワーグナーではありましたが、学生時代には独学でモーツアルト・特にバッハの平均律クラヴィーァ曲集は自力で解き明かす試みに取り掛かっていたようでした。

この、博物館を訪れてみてもわかるように、ピアノが何台も置かれていました。
写真は玄関ホールのグランドピアノです。

彼の作品の中にはピアノ曲がとても少ないですね。にもかかわらず初期のピアノ曲の中から後の「ワルキューレ」・「トリスタン」などに現れる主題をすでに予感させていた事は、原点にはやはりピアノの存在は大きかった事が理解できます。
by junomyu | 2009-02-15 00:28 | 音楽