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【シューベルト】のことあれこれ

【シューベルト】のことあれこれ_c0193304_12181678.jpg写真は市立公園のシューベルトの像です。

Franz Peter Schubert(フランツ・ペーター・シューベルト)は 1797年1月31日ウィーンのリヒテンタールで生まれ、1828年11月19日ウィーンで亡くなっています。リヒテンタールの生家は今でも博物館として残っており、内部を見学する事が出来ます。小さなホールも併設され今日でも、そこでコンサートが行われています。

シューベルトは他の作曲家のように音楽のため他の国に出ることなく、一生をオーストリアの地で過ごした作曲家でもあります。
特に歌曲は有名で 1815年18歳の時には「野ばら」「魔王」「たゆみなき愛」等の名作を含む約145もの歌曲を作曲しています。

2008年はシューベルト没後180年を記念して多くの場所で、その記念のエベントを催していました。
シューベルトの話題には事欠きません。
シューベルトはウィーン郊外・リヒテンタールで幼少を過ごし、ヌスドルフにあるシューベルトの生家は今「シューベルト博物館」になっており、彼の遺品等を見学することもできます。

シューベルトの印象深い面持ちはトレードマークの 丸メガネ、人柄がしのばれます。

写真はシューベルト博物館にて、シューベルトの眼鏡:
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【シューベルト】のことあれこれ_c0193304_12121790.jpg写真はシューベルトの生家にてのピアノですが、2008年はシューベルト没後180年記念の年です。

その死因は一説によると後期梅毒であるともいわれているが、、記録から見るとシューベルトは梅毒の第2期(発疹、脱毛など)止まりであったことがわかっており症状(発熱、吐き気など)の記録から腸チフスと見るのが妥当であろうと言われております。

シューベルトの死後、1838年、シューマンはウィーンに立ち寄り、シューベルトの兄フェルディナントの家を訪問しており、シューマンはその机上で『(大)ハ長調の交響曲』が埃に埋もれているのを発見し、ライプツィヒに持って帰った。それはメンデルスゾーンの指揮によって演奏され、ノイエ・ツァイトシュリフト紙で絶賛されております。

シューベルトは《もっとも詩情豊かな音楽家》である と リストの言葉にもあるように ロマン派の音楽家達に大きな礎を残した存在ではないかと思われます。

シューベルトの生家には今も当時のピアノが残されております。
彼独自の世界は、ピアノを通して多くの作品が生まれたことがしのばれます。

この歌曲の王は、オーストリアから一度の出ることなくこの世を去りましたが、当時多くの音楽家は彼を知らない人はいなかったのでしょう。

シューベルトの魅力に乾杯~♪
by junomyu | 2009-02-13 12:22 | 音楽